戦国ブームを牽引するふたりの歴史学者が、戦国ファンも注目の高槻で激アツトークを展開!まさかの市長も参戦したイベントをレポート!
■高山右近は「協調派?」それとも「武闘派?」

高槻城跡の空撮図。
芥川城に続いてふたりが訪れたのが、阪急高槻市駅と国道171号線の南側に広がる高槻城跡。平山さんは古地図と照らし合わせながら、現在生活道路となっている場所が、かつてお堀だったことを紹介。さらに、江戸時代の高槻城の堀の下には、高山右近時代の堀跡にたどり着けることにも触れました。

高槻市が誇る英雄・高山右近について話す四氏。
ここで話題は、高山右近へ。平山さんは、高槻のまちが日本のキリスト教の歴史でとても重要な場所であることを指摘。高山右近と父の飛騨守が高槻にキリスト教を布教し、宣教師達の拠点にもなっていたそうで、濱田市長も高山右近が本山寺の所領を安堵したことを伝える「本山寺文書」(高槻市有形文化財)が残っていることから、右近は他の宗教との共存を模索していたのではないかと話しました。
また平山さんは、文化人のイメージが強い右近が、実はかなりの武闘派であるエピソードを紹介。山崎の合戦で先陣を切った話や賤ヶ岳や小牧・長久手の合戦もくぐり抜けた歴戦の勇者であることを話すと、観客も知られざる右近に姿に驚いたようでした。

高槻城の魅力について話す平山さん。
再び話題は高槻城跡に。平山さんは先ほどの堀跡だけでなく、公園内に残る土塁跡をはじめ街中に残る高槻城跡の痕跡をたどりながら、高槻城が巨大な城郭であったことを紹介。特に天守や土台には石垣を使いつつ、土塁を多用した近世城郭は貴重であることを話すと、濱田市長も「現在進めている高槻城再現計画にも、おふたりのご意見をいただきたい」と、夢の高槻城再現への意欲を見せました。
<高槻市長 濱田剛史さんからのメッセージ>
芥川城は、全国的にもトップクラスの規模を誇る戦国時代の山城です。城の三方を深い渓谷・摂津峡で囲まれ、平坦にした曲輪や、その権力を誇示するかのように築かれた石垣、堀切や土橋などが現在も残っており、当時の山城の趣を体感することができます。頂上の主郭からは大阪平野を一望できます。手前には京都と西国を結ぶ西国街道が通り、中央には淀川、奥には生駒山系、遠く大阪市街まで見渡すことができる眺望は圧巻です。
この芥川城を居城とした三好長慶は、織田信長に先駆けた戦国時代最初の天下人として、近年、特に歴史的な評価が高まっています。配下の松永久秀らを重用し、天下に号令しました。また長慶は、村々の水争いを裁くなど、地域の人々と向き合い、政治にも力を注いだことが知られているほか、連歌や茶の湯に親しむなど豊かな教養を示した当代一流の人物でした。
ぜひ、皆さまも芥川城跡を訪ねていただき、天下人が畿内を治めるために重要視した山城の魅力と、織田信長と三好長慶が悠然と睥睨したであろう景色をご堪能ください。